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安高きら 選手【企画】APRO 風に駆ける.jpg

自分で風をつくって
その中を駆け抜ける
そんな体感をさせてくれる競技
それがインラインスケートだとおもう

個人競技なのに、チームスポーツな気がしている
だって、誰かひとりが倒れたら
ドミノ倒しみたいに、みんな倒れるから
好敵手なのに、仲間みたいな気分になる

勝ち負けももちろん大事なのだけれど
そうじゃない、大事なものがある
そんな、風の駆けっこ だ

自分でなんでもしなきゃ
 私の名前は、母親がつけました。お母さんが「ら」をつけたかったそうです。
姉の名前にも「ら」がついていて。私は「きら」になりました。
 小さい頃から「自分がちゃんとしなきゃ」と考えてました。甘えるというよりは、自分でなんでもしなきゃ。とおもっていた。そんな記憶があります。
 勉強もスケートもがんばらなきゃ。という義務感のようなものを3〜4歳のときにおもいました。
 今は、逆にその反発からか、親の反対を押し切って「自由」に生きているような感じです。「ずっと反抗期。わたしのいうことは聞かない。」とお母さんから言われることもあります。笑
 お母さんとは、普段ずっと話しています。よくしゃべってます。お父さんは、自営業みたいな感じなので家でずっと仕事しているような人です。
 私の性格は、お父さんに似ているとおもいます。物事を論理的に考えたい。お父さんは、建築家あるあるなのかもしれないですけど、論理的ですね。「自分がこうしたい。だからこうしなきゃいけない。」というように頭の中で考えています。


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きっかけは「お菓子」
 インラインスケートはお母さんが私より先にハマって、スクールに行きました。はじめて見た時の印象は、、、覚えてないですね。笑
 スクールでは、内側リンクが初心者、外側リンクが速い人達が滑っているんですよ。外側で走っている人を見てて、「カッコいい」ってなりますよね。そのクラブチームの人たちが、お菓子くばるんですよ。
 私その時、めっちゃ食いしん坊だったんで、” お菓子食べたい ”ってずっと思ってて。そんな時に、たまたま「君もクラブチーム入りなよ。」って声かけられて。お母さんから「(きら)どうする?」て聞かれまして。

「お菓子食べたい。」って言いました。笑 このクラブチーム入ったら、お菓子もらえるとおもったんです。多分、お母さんは理由が何であれ私にクラブチームに入らせたかったんだと思います。なので、、、競技に対して憧れを抱いたというよりは、きっかけは「お菓子」です。

 インラインスケートを好きになったのは、勝てるようになってからだとおもいます。体が大きかったんで。勝てるようになって、嬉しかったです。4歳〜5歳くらいの時ですね。周りの子達より一回り大きかったんです。
 小さい時に、体大きいのってやっぱり有利ですよね。選手になったのは、クラブチームに入った時点で試合に出始めた時点ですので4歳の12月とかですね。コーチに教えてもらってたのは、技術的な基礎の部分が多かったです。
​ 競技は、20歳まで続けました。16年間ですね。競技を続けられてた理由は、「他にやることがなかったから。」な気がします。球技がほとんど出来なくて。他の競技に転向しても、だめだとおもって。   
 私は、人に勝ちたいとか思ったことあまりなかったんです。
 自分が1位になったら、その他の子が2位と3位になるじゃないですか。それがイヤだったんです。自分が1位で嬉しいことが起こると、ほかが2位、3位っていう悲しいことが起こるっていう。他人が不幸になるくらいだったら、自分は別にそこまで勝ちたいと思わなかったです。蹴落としてまで勝ちたいと思わなかったんです。だったら、みんなでやるスポーツ。みんなで勝つ、であれば良かった。だから、ミニバス行ったりもしました。1年間通ったんですけど、ダメでした。
 小学校3年生くらいまでは、勝って嬉しかったです。段々年齢を重ねると、そうじゃなくなっちゃったんです。

 自分が勝ったことで、悲しんでる子がいる。という状況を見ることが何度もあって。
 その時は夢や目標っていうのは「試合での勝利」ではなくて「この人よりも速くなりたい。」というあくまでもスポーツとして「ずっと自分記録を更新し続けたい」ということでした。

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「自分は自分、人は人」
 インラインスケートの一番好きな所は、風を感じられること。だって、生身で車のボンネット乗ったような感覚を味わえるんですよ。あ、バイクに乗ったような感覚か。笑
 インラインスケートを通して、今の自分に活かされていることは「自分は自分、人は人。」という考え方です。
 競技になった時点で、誰かと比べたり、人を定めたりする人がいるじゃないですか。私はそれを聞いてしまう性格だったんです。そういう人の言葉を鵜呑みにしてることがあったんです。そういった人の言葉を聞いて、試合に勝てなかったことがあったんです。その時に私は、試合に勝てなかったことを、気持ちの中で、その人のせいにしてしまったんです。

ただ、”まてよ。”とおもったんです。


 人のせいにしてはいけない。その人のいうことを聞くことを決めたのは、自分だから。
試合に勝てなかったのは、自分に責任がある。と気づいた時から、「自分は自分、人は人」
という考え方になりました。中学校2年生、14歳くらいだったかな。

​ こうして、振り返ってみると、インラインスケートがなかったら、今の安髙きらの人格は形成されてなかったかもしれませんね。

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RUNBRIDGEは「部室」であり、メンバーは「部活動」
Q、安髙さんをインターン生として迎え入れることを決めた要因は?

岡本:
 はじめの電話をした瞬間ですね。僕の経験上なのかもしれないですが、「応対」「声から表情が伝わってくる」。電話での印象と、面会した時の印象は良い意味で変わっていないです。むしろ、思ってた以上に、前向きでした。

余吾:
 直感。自分と同じ空気感を感じました。今回、対話の機会の中で、やっぱり、自分の直感は間違っていなかったとおもいました。例えば、小さい時の身体的な環境。僕は小学校6年生で170cm, 63kgでした。それと、一番大きくて、嬉しかった部分として
” 自分は自分、人は人。” という考え方。僕は、小学校6年生だったかな。親にずっと言われてました。
 「誰々はこうしてる。この人の家はこうだ。」とかって僕がいうと母親は「それって、自分で考えてないだけじゃない?自分で考えてどう思うの?」と。そう、親に育てられてきたので、人の意見は聞くけどすべてを取り入れるわけではない。と決めてました。

 それと、たくさん出てきちゃうんですけどきらさんは「論理的、ロジカル。」だと感じました。感情で話してそうだけど、ロジカルで、発言に一貫性もあった。あとは、1つの競技を長く続けているという事実。プレゼンテーションも話し方も良かった。「将来、自分で事業したい」という部分に対しても応援したい。とおもった。
 僕も起業してて。実際に苦労する部分や、きらさんが今既に持っている強みみたいなのを客観的にお伝えできるかなと。


Q、安髙さんがRUNBRIDGEを知ったきっかけとその時の印象は?
「将来スポーツの事業をしたいと考えてます。」とスポナビの方にずっと言ってたんです。
何社か紹介されてたんですけど、ある日RUNBRIDGEを紹介してもらったんです。
その時に、なんだかわからないけど、面白そう。話を聞いてみたい。とおもいました。
 はじめて会社に来た時の印象は「部室」だなです。笑
 メンバーの方々にとっての印象も「部活」です。笑

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